スポーツ選手をはじめとする成功者が
努力は報われます!
と言うと説得力があります。彼らは努力によって結果を残した努力が報われた人間だからです。
こういったコメントは「努力は報われる派」と「報われない派」論争の起爆剤になります。
今回は「努力は報われる?報われない?」を皮切りに「弱者は努力で強者に勝てるのか」を実体験を踏まえ考えます。
双方の意見をまとめてみる
努力は報われる派
努力はやった分だけ結果に結びつく。仮に目標を達成できなくてもその努力はいつかどこかで花開く。
忘れたころに結果を出す人は過去に努力を怠らなかった人だ。
努力は報われない派
圧倒的才能や実力差を目の前にしては努力ではどうにもならない。
どんなに喧嘩の強い小学生でもプロレスラーや力士には勝てない。この世には努力ではどうにもならない事象もあるのだ。
努力だけでは勝てない。強者もまた努力している。
「努力だけの世界」は残酷
報われない派の意見に賛同できる点がここです。確かにどう努力しても勝負にならない事象は一定数存在します。
努力だけで強者に立ち向かっても、強者が手を抜くなり油断なりしなければ勝つどころか差を縮めることすらできません。強者もまた努力しているのです。
童話「ウサギと亀」を思い出してみましょう。物語上は愚直に走った亀が油断したウサギに勝利していますが、ウサギが油断しなければ亀のぼろ負けです。
また折角努力したのにより悪い結果になるという悲劇もあります。
テニスやバドミントンといったスポーツでは間違ったフォームをひたすら練習してはただ下手になる一方です。
指導者は正しいノウハウは勿論、正しい努力の方向性まで明示することが第一目標となります。
ーーーここまでは努力「だけ」の話です。ではそこに努力以外の要素を加えるとどうでしょう。
強者に勝つには工夫&試行錯誤が必須
努力という一要素だけで議論するとここまでのような極論が生まれてしまいます。
しかし実際はそう単純な話ではありあません。努力は必要条件に過ぎず、弱者が強者に勝つには努力だけでは不十分なのです。
GENの意見は
弱者ほど工夫と試行錯誤に力を割くべき!
です。
ウサギと亀で言えば、カメは「近道を見つける」「自転車を使う」「ウサギの食事に下剤を盛る」など、差を縮める工夫を事前に施すのが筋ということです。
努力さえしていれば強者にも勝てるーーー美しい論理ですが、努力を最大化するための工夫や試行錯誤を怠っては努力は平然と裏切ってきます。
長期的努力こそ、その過程で試行錯誤せよ
GENは学生時代ボーカル活動に取り組んでいました。歌が上手くなりたいと思ったので、上手な人の歌い方を真似たり本人に質問したりすることに尽力しました。
これにより「こうすればより上手く聞こえる」「こうすれば必要な筋肉が鍛えられる」といった発見・気づき・学びを得、成長スピードを加速させることができました。
練習の中で「こうすればより~~」と感じたときは大チャンスです。そこに工夫・試行錯誤の余地が生まれ、成長スピードのアップが期待できます。
無心でがむしゃらな努力は尊さがあり美しさすらあります。しかしこれで強者との差を埋めることは不可能に近いです。繰り返ししますが、強者もまた努力しているのです。
相手のいない努力も結果重視であれ
現代人が最も興味のある自称のひとつにダイエットがあります。これには強者・弱者といった概念は特になく、自分との戦いです。
そんな分野でも努力だけの世界は残酷な現実をたたきつけます。
ダイエット系のCMとして有名なものにライザップがあります。
肥満体系な人を見せた直後に痩せた姿を見せることもインパクトのあるCM映像に仕上がっています。
この会社のキャッチコピ-と言えばーーー「結果にコミット」です。
ダイエットはここまでお伝えした理屈がそのまま当てはまります。
俺は頑張った
と熱弁し、周囲から
頑張ったね!
と褒められるととても気分が良くなります。しかし頑張ったはずの本人が健康的に痩せていなければそれは失敗です。
人間は努力をすればする程に認められたい気持ち(承認欲求)が生まれてきます。しかし、ここはぐっと堪えましょう。
最も大事なのは結果にコミットすることであり、努力そのものではありません。
褒められるのは結果が出てからでも遅くないのです。
ちなみにダイエットの結果とは何も体重だけではありません。体脂肪率や筋肉量はもちろん、摂取カロリーの減少や栄養バランスが良くなった等、「痩せにくい体作り」に貢献できた事象もまた結果です。
このテの「結果の為の結果」もまた評価されるべきものです。
努力を褒める文化の功罪
こう書くと努力全般の否定のように見えるかもしれませんが、そんなことはありません。
努力を褒め・認めることは重要です。GENが指摘したいのは努力を過大評価する文化のことです。
日本に限った話ではなですが、少なくとも子供も大人も努力を過剰に褒める文化があります…というよりシステムがそうなっています。
労働者(サラリーマン・非正規・パート・バイトなど)の立場になってみましょう。
労働という努力により生まれた生産という結果ではなく、時間毎で固定給を与えたり最低賃金という名目で毎度定額の報酬を与えられます。
これは何時間働いたかという努力についての評価であり、その時間にどれだけ何を生産したかという結果は評価対象になっていません。
コンビニ店員がどんなに早くレジをこなしても、どんなに丁寧に接客してもバイト代はなかなか上がりません。
1日100枚タオルを生産する工場が200枚タオルを生産できても従業員の給料を倍にはしないでしょう。
学業も労働ほどではないがこれに近い文化があります。「出席」という努力が評価され、皆勤賞たるものまで設定されています。
学校の主目的は学力向上です。不登校だろうと病弱だろうと教科書の中身が理解できていれば学生はテストで高得点という結果をたたき出しますが、これでは駄目らしいです。
学校はそこからさらに出席・課題・提出物といったミッションを課し、そこも評価対象とみなします。
平常点・内申点という評価軸までありますが、これらが有効に機能しているとはとても言い難いです。
一方でまともな大学受験になると完全な学力主義(結果主義)で戦わせます。つまり学内では努力を褒めながら、学外では結果を褒めるといういびつな構造になっているのです。これでは子供は混乱するのではないでしょうか。
ーーー以上、「努力だけでは中々報われないが、そこに試行錯誤や工夫が付随すると一気に報われやすくなる」というお話でした。
今カメの貴方もウサギの貴方も、努力だけになっていないか今一度確認してみてはいかがでしょうか。
貴方の努力コスパ急上昇のきっかけとなれば幸いです。