大津市園児死亡事故報道での保育園の姿勢とメディア報道を考える


滋賀県大津市で散歩中の保育園児の列に車が突っ込み死者が出るという凄惨な事故が発生してしまいました。発生直後メディアはこの事故をこれでもかと大々的に報道しました。

保育園は記者会見を行いましたが、この点が非常に問題視されました。

記者への質問がもはや精神攻撃レベルであり、泣き崩れる園長先生やスタッフの姿が全国放送で流されたのです。

今回はこの保育園の姿勢と、大手メディアの報道の在り方について論じます。

園が会見した理由は「致し方ないから」


保育園は何も積極的に会見を開きたかったわけではないとGENは推測します。

会見を開かなかった場合、個々でメディアが押し寄せてくることになります。

ヘリを上空から回され風・騒音に悩まされたり、精神的負荷かかりまくり真っ最中の近隣住民や親族が取材を受けることになるでしょう。

こういったある種の二次被害を事前回避するために会見に踏み切ったのだと思われます。

取材側のメディアは「園児を保護できなかった説明責任」という詰め方が一応可能(GENにはできないが)ですが、取材を受けるの免罪符としては個人的に非常に弱く感じます。

両遺族からの訴えをもっと報道して欲しい


滋賀県警に向け両遺族から直筆の手紙が送られており、全文が公開されています。その中に「自宅や葬儀会場での取材撮影はお断り」という意味合いの文言がありました。

ちなみにテレビ(NEWS ZEROなど)ではこの報道機関への通達箇所を丸々カットして放送しています。ネット放送(abema)では全文をアナウンサーが読み上げる形をとりました。

GENは老衰で祖父母を失っていますが、直後は非常に家がバタついた記憶があります。葬儀手配や親族への連絡などまさしく泣く暇がないほど多忙でした。

もしGENの祖父母が有名人で、ここに取材と称してマスコミが殺到していたとしたらすさまじいストレスを抱えたことでしょう。

今回の事故では突発的に若い命が連続して失われています。物理的はもちろん、精神的にも遺族にとっては非常につらい時期だったことでしょう。

メディアが遺族のプライベートにカメラやマイクを持って押し寄せることに果たして正義はあるのでしょうか。

そしてこんな手紙を書かせてしまうほどにメディアの取材はデリカシーがないのだろうかと邪推してしまいました。

事故報道が加速される理由とは

注意喚起になるから


メディアが主張する凄惨な事件・事故の重さを伝える目的は注意喚起です。

事故報道によって事故の恐怖を視聴者に伝え、ドライバーや歩行者がより警戒する効果が得られるというわけです。なるほど確かに一理あります。

免許センターの更新でも交通違反で減点されたドライバーには凄惨な事故現場やニュースの映像を見せることで注意喚起させています。これと同じ手法というわけです。

失言防止マニュアルを論じた際も述べましたが、「当たり前でも重要なことは何度でも伝える」は一定の効果があります。

【賛成】自民党の失言防止マニュアルがそこまで変じゃない件
原文を読むとメディアがこれを叩く理由がわかります

数字が取れて儲かるから


前述の理論を駆使しつつ、メディアは「公益性の観点から放送する」と言います。本当にそうでしょうか?

本音は公益ではなく自社利益ではないでしょうか。

泣いているシーンや写真がテレビ・新聞などに映れば誰しも「何故泣いているのか」という疑問を抱きます。続きが気になり、内容に興味が湧いてきます

号泣シーンそのものは人を呼べるネターーー集客材料として有益なのです。

感情を湧きだたさえるような質問を連発するのも、その一環と言えるでしょう。

これはメンタリストDaiGoさんの受け売りですが「ストレスをためると人間は消費傾向が高まる」という研究結果があるそうです。

事実なら恐ろしいことです。凄惨なニュースや腹正しいニュースを見るとストレスが溜まりそれを晴らそうと人間は消費ーーーつまり購買行動をとります。

集客が見込めて客の購買意欲が高まる…マーケティング手法としてここまで理想的なものは希少です。

これが事実なら人道的・倫理的には相当に悪い意味でヤバイ話です。読者のあなたはどうお感じになられたでしょうか。